《本記事のポイント》

  • 自民党が教育無償化に向けて走り出した
  • 無償化ありきの議論でいいのか?
  • 教育の質の高さが子供を育てる

自民党の小泉進次郎・農林部会長ら若手議員による「2020年以降の経済財政構想小委員会」がこのほど、保育や幼児教育を支援する「こども保険」を創設する提言をまとめた。

提言では、企業と従業員の支払う社会保険料を0.1%ずつ引き上げることで、年3400億円の財源を確保し、教育政策に充てる考えが示された。これにより、小学校入学前の子供の児童手当に月5000円加算できる。将来的には引き上げ幅を各0.5%に拡大し、保育や幼児教育が実質無償となる約1.7兆円の財源確保を目指すという。

教育無償化については、安倍晋三首相も先月28日の参院決算委員会で「貧しい家庭に育っても進学できる日本をつくりたい。私の信念でもある」と意欲を示している。

また自民党内では、教育無償化をめぐり、馳浩・前文科相や下村博文幹事長代理らを中心としたプロジェクトチームから、「教育国債」を発行する案も検討されている。これについては、「将来世代への負担の先送りに過ぎない」との意見が発されたため、それに対抗する形で出されたのが、今回の「こども保険」案である。

無償化ありきの議論でいいのか?

少子化問題や、貧困が原因で進学できないなどの問題に対して課題意識を持つことは重要だ。しかし、今の与党内の議論は、無償化ありきの議論となってしまっている。

無償化だけが教育の充実ではない。それぞれの学校が切磋琢磨して教育の質を上げていくことも重要だ。公金の投入は、教育機会の確保と同時に、教育の質を上げる目的にもかなったものであるべきだろう。

例えば、低所得層に向けた教育バウチャーの導入や、参入規制の緩和といった方法が挙げられる。バウチャー制度で、教育機関の間に競争原理が取り入れられれば、「この学校に子供を通わせたい」と多くの親が考えるような、教育の質の向上に努力した教育機関が残っていく。単に無償化するだけでは、質の向上につながらないばかりか、もし教師の中に「どうせ無料だから」という意識があれば、むしろ質は低下しかねない。

しかも、現在挙がっているこども保険案の内容も、すべての未就学児童が対象で、十分な所得があるかどうかなど、家庭の事情は考慮されておらず、支給される手当も本当に教育に使われるかどうかはわからない。

こうして見ると、こども保険は、実は社会保険制度に目をつけた増税とも言える。人気取りのためのバラマキ政策にもなりかねない面がある。

教育の質の高さが子供を育てる

歴史に目を転じてみると、明治期の立役者を多数育てた教育者の吉田松陰は、ほったて小屋のようなところで松下村塾を開き、獄中でも人材を育てた。お金はかかっていなくても、そこから伊藤博文や高杉晋作、久坂玄瑞らが育っていった。その根底には、教育者としての松陰の人材を愛する心と情熱があった。

国として教育に力を入れることは素晴らしいことだ。しかし、無償化ありきの議論では、教育において一番大切なものを見失ってしまう恐れがある。

(HS政経塾 野村昌央)

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