朝日新聞出版が発行する週刊誌AERA(2017年1月16日号)が、「神さま仏さまはどこにいる」という特集を組んでいる。

今、宗教に対する日本人の意識が変化してきているとして、現代人の様々な不安や迷いへの宗教の関わり方に始まり、伊勢神宮へのバスツアー、政治と宗教の関わり、新宗教などについて紹介している。

人間が求めなければ宗教はなくていい?

1990年代のオウム事件以降、宗教を遠ざけてきた日本人の意識が、徐々に変化してきた、という目の付け所はさすがだ。ただ、気になるのは、この特集の根底に「宗教が必要なのは人間がそれを求めているから」という考えが流れているらしいこと。言葉を変えれば、人間が中心にあり、人間が求めなければ宗教はなくてもいい、という考えだ。

特に後半の「日本人に宗教は必要か」というオピニオン欄では、この傾向が強い。見出しには、「地獄の中に生きる自覚、そこに宗教が生まれる」「老後が変えた死の意味、宗教は無意味になった」といった、宗教に対してネガティブなものが並ぶ。

作家の五木寛之氏は、「宗教は、闇の中にいるという不安と恐怖と恐れがなければ必要とされないのかもしれない」とし、宗教学者の島田裕巳氏は、現代日本人にとって宗教との付き合い方は個人的なものになったため、お寺や神社に継続的に行って祈ることはなくなり、「宗教は(パワースポットや文化的価値を学ぶための)ただの『スポット』であり、それ以上の意味はないのです」と述べている。

宗教と人間の主従が逆転している

しかしこれは、あまりにも傲慢な考え方だ。

人間が求めたから宗教が生まれたのではなく、神仏が存在したから人間が生まれた。このことは、現代のような通信網がなかった時代から、世界中のあらゆる宗教において説かれている。その理由を「偶然」の一言で片づけられるだろうか。

歴史的にも、人間の価値観や哲学の元をたどれば、すべて宗教にたどり着く。大学の歴史をさかのぼれば、初めに神学部があり、その後、他の学部が派生して誕生している。西洋の法律学のもとを辿れば、モーセの十戒にたどり着き、「哲学は神学の婢(はしため)」という言葉も存在する。

また、「創造主が存在し、人間は神仏によってつくられた」ことを否定すれば、人間という存在の尊さを否定することにもなる。現在の日本国憲法に「侵すことのできない永久の権利」として謳われている「基本的人権」も、一人ひとりが神仏につくられた尊い存在だからこそ、「侵すことができない」のだ。

あの世の存在証明は行われている

もちろん現在、神仏が人間をつくった現象を再現することはできない。しかし、理科の実験のような演繹的な方法ではなく、事例を多く集めることによって真実を導き出す帰納的な方法によってあの世の存在証明は行われている。

幸福の科学・大川隆法総裁は、700回を超える霊言・リーディングを行っており、それらはすべて公開収録されている。そこまでして、あの世の証明に力を入れているのはなぜか。

大川総裁は9日にパシフィコ横浜で行った講演「未来への扉」において次のように強調した。

あの世があることを教えるのはものすごく大事なんです。あの世があることを知っているということは、遡ってこの世の生き方が決まるわけです。そうであるなら、この世はどう生きなきゃいけないかということをあらかじめ決められる。死ぬまでの間、後悔しない生き方とは何かという答えに対して自分で答えが出せるということなんです

AERAの宗教に対する疑問は、人間にとってとても大切なことがわからなくなった末の悲しい疑問かもしれない。

(瑛/紘)

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