日本のマスコミは、「信教の自由」への理解が十分でないようだ。
宗教の教えや内容に対して価値判断ができないためか、お金や権力、人間関係のトラブルという視点だけで宗教を報じることが多い。
しかしこれは、世界の非常識。西洋の伝統では、政治参加の自由という市民的自由権は、信教の自由と同じように保障されなければならないというのが常識だ。
日本のマスコミの矛盾した姿勢
日本では、「信教の自由と同じように」という発想が抜け落ちている。そのため、「民主主義の旗手」とされるマスコミが、市民的自由権を最も保障するはずの「信教の自由」を批判的に報じる。
信教の自由を尊重しないスタンスでは、障害者、女性、移民、そして少数派の政党など、あらゆる少数派の権利が脅かされてしまいかねない。
マスコミの掲げる「言論の自由」という市民的自由権は、ある日突然、この世に生まれたものではない。信教の自由を求める過程で生じてきたものである。言論の自由が認められる理由である「信教の自由」を批判しながら、言論の自由を主張する日本のマスコミは、歴史に対して無知であり、矛盾していると言わざるを得ない。