2016年8月号記事

編集長コラム 参院選・特別版

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バラまき合戦でいいんですか?

――「福祉大国」から「未来投資国家」へ

まったく同じ公約が並ぶ各党

各政党が同じような公約を掲げたら、民主主義は成り立つのだろうか。

「低年金者への給付金(年金増額)」

「保育士や介護職員の給与引き上げ」

「同一労働同一賃金」「最低賃金の引き上げ」

「返済不要の給付型奨学金」

これは自民、民進、公明、共産の各党が7月の参院選で掲げる"共通政策"だ。もちろん、お互いが話し合って同じものになったわけではない。国民受け、マスコミ受けするものを考えた結果、同じになったにすぎない。しかし、それで国政選挙をやる意味が果たしてあるのだろうか。

安倍晋三首相は参院選公示前の応援遊説で、「気をつけよう、甘い言葉と民進党」と語った。これだけ同じメニューでバラまき合戦をやられたら、「民進党」の部分を「自民党」に入れ替えても、何の差し支えもないということになる。

これは、民主主義のシステム自体がバラまき政治と財政赤字を生みやすいという証明でもある。国民が「欲しい」と望んでいるから、それに応えるしかないというのが、各党の言い分だろう。ただ、その「国民の欲望」のすべてをかなえていこうとすると、どうなるか。それを冷静に見ていかないといけない。

これら各党の"共通政策"を支える考え方は、「政府が高齢者ら国民の生活も子供の保育や教育も面倒を見ますよ。だから安心してください」というものだ。

「福祉国家の理想」ではあるが、これは必ずどこかで破たんすることが経験上、分かっている。

ソ連の破たん、スウェーデンの行き詰まり

福祉サービスが無料という究極の理想を実現していたソ連は、1970年代には国家財政は大赤字になっていた。医療費などが次々と削減され、医師に一定の賄賂を渡さなければ、命の危険があるほどサービスが低下した。国民の健康状態が悪化し、70年代から乳児死亡率が上がり、男性の平均寿命も短くなった。最後は、お金のかかる高齢者の医療からカットされ、「お年寄りが大切にされない社会」になってしまったという。

こうした福祉大国の崩壊をスウェーデンが今、経験している。

高齢者への手厚い年金と介護。大学までの無償教育、10代までの原則無料の医療。こうした福祉サービスを約56%の国民負担率(国民の所得全体に対する税金と社会保障の負担の割合)でまかなっている。

ただ、1980年代末以降、経済的な停滞で財政難となり、「高福祉モデルは成り立たない」という認識が広がった。91年以降、福祉大国を築いてきた社会民主党(中道左派)と中道右派勢力との間で政権交代を繰り返しているが、「高福祉をまかなう財源はない」という立場は共有している。

92年からの高齢者福祉改革(エーデル改革)では、介護・医療サービスで経費削減と人員削減を進めざるを得なかった。そのため、介護施設に入れない高齢者が出たり、医師の診察が簡単には受けられないということは、当たり前になった。この点では、スウェーデンはソ連の末期に近づいているように見える。

「不愉快な結果」がやってくる

中道右派によるラインフェルト前首相は、在任時の2012年、「75歳まで働き続ける可能性に備えてほしい」と呼びかけた。労働組合などは強硬に反対しているが、スウェーデンの年金制度も、もはや立ち行かなくなったことを示している。

2014年9月、国民に広がった「改革疲れ」から、中道左派勢力への政権交代があった。ただ、それ以降の財務相も、「私たちは1時間ごとに1千万クローナ(約1億2500万円)を借り続けています。国庫は完全に空です」と危機感を訴えている。中道左派政権は、伝統的な高福祉国家への回帰を志向しているが、そのためには増税が不可欠という考えだ。

国民の側もだんだん「自分で備える」ことを考えるようになっている。金融機関は、リタイア後に備えた積立預金を盛んに呼びかけている。

とはいえ、多くの国民は収入の6割を所得税で取っていかれるので、そう簡単には貯金ができない状態だという。

オーストリア出身の経済学者・哲学者 ハイエク(1899~1992年)は『隷従への道』でスウェーデンに触れ、「なんらかの不愉快な結果がやってくるだろう」と述べた。まさにそれがやってきている。

(注1)スウェーデンは地方税約30%。国税の所得税が0~25%。最高税率は55%なので、日本と変わらない。消費税は25%。日本の国民負担率は約43%。

国民の知らない社会保障の危機

実は、日本にも「不愉快な結果」はやってきている。

2013年度の時点で、年金、医療、介護など社会保障費が約111兆円かかっている。これを社会保険料でまかなうことができず、約43兆円を税金で補っている(同年度決算より)。

問題は、同年度の政府の借金(国債発行)がちょうど約43兆円であることだ。日本の場合、 借金をして社会保障を無理やり成り立たせようとしていると言える。

2025年度には社会保障費は約150兆円になると予測されている。その年の税収が今のレベルと変わらないとするならば、国債発行額が80兆円以上になってしまう。

2025年はもう目の前だが、社会保障の危機と根本的な改革について、各党はまったく何も語らない。マスコミも警鐘を一切鳴らさない。

国民の側は「知らされていない」から、声を挙げようがないのかもしれない。

しかし、このいびつな社会保障はいずれ、国民の生活に跳ね返ってくる。ここで社会保障のコストを国民一人ひとりの負担に置き換えるとどうなるかを見てみたい。数字が多くて恐縮だが、おつきあい願いたい。

日本の社会保障は成り立っていない

  • (1)現在、政府が提供している福祉など公共サービスの費用をそのまま国民に負担してもらう場合、世帯の平均所得が890万~920万円ないと維持できない計算になる(注2)。2014年時点で1世帯あたりの平均所得は529万円。各世帯が毎年400万円ぐらいの"過剰サービス"を政府から受けていることになる。

  • (2)70歳以上の高齢者の医療費は、自己負担を6割に上げても保険制度として成り立たない(注2)。御高齢の方々は、病院の窓口で「6割負担してください」と言われたら、どうするのだろうか?

  • (3)竹中平蔵・元経済財政相はあるインタビューで、「今65歳から全員に年金給付していたら、実は消費税を30%にしてもダメなんですよ」と語った。その発言はネット上などで猛反発にあっているが、客観的な数字を述べただけではある。

  • (4)65歳以上の人たちの1人あたりの社会保障費は2010年時点で253万円にのぼる。現役家庭がリタイアした父母2人に対し、政府を通したら約500万円を「仕送り」している計算になる(注3)。これだけの金額を仕送りできる家庭が日本にどれぐらいあるだろうか?

  • (5)今の福祉サービスを続け、それを消費税の増税でまかなった場合、2060年の時点で68・5%になる(注3)。「そんな未来を子供たちのために遺してやろう」と考える恐ろしい発想の人たちが、本当に今の日本国民の多数派なのだろうか?
(注2)東京大学、慶応大学で設立された「政策シンクネット」で、高齢社会対策プロジェクト「首都圏2030」に参加する投資家・ブロガーの山本一郎氏の指摘。
(注3)原田泰・元早大経済学部教授の試算。

日本はスウェーデン以上の福祉大国

ちなみに財務省は、日本が将来それだけの「重税国家」になることが分かっているから、マイナンバー制度を導入した。国民の資産をすべて把握して、お金持ちの高齢者が亡くなったときに、「これだけ払ってください」という"命令"が自動的にできることを目指している。

さらに付け加えれば、「重税国家」は、すでに始まっている。

国民から集めた税金と保険料のうち、どれぐらいの割合を社会保障に使っているかを計算すると、日本は67%、スウェーデンは64%になる(2008年時点)。

つまり、 日本はスウェーデン以上の「立派な福祉大国」であり、「重税国家」だということになる。 スウェーデンほど高い税金を取っていない分だけ、国債発行でまかない、1000兆円の借金として積み上がってしまっているわけだ。

ただ、日本の場合どの政党も、スウェーデンの政治家のように「高福祉をまかなう財源はない」と訴えることはない。それどころか、「年金も介護も、もっと政府が面倒見ますよ」と公約にうたっている。果たして日本はいったいどうなってしまうのだろうか。

富の「分散」から「集中」へ

経営学者のドラッカー(1909年~2005年)は『ポスト資本主義社会』で、マルクス主義にもとづく福祉国家の終わりについてこう述べていた。

「経済システムとしての共産主義は崩壊した。共産主義は富を創造する代わりに、貧困を創造した」

「信仰としてのマルクス主義が崩壊したことは、社会による救済という信仰の終わりを意味した」

福祉国家は、「社会による救済という信仰」にもとづくもので、それが終わったということになる。各党とも「信仰」をもう捨てるしかない。

では、そのあとはどうすればいいのか。

ドラッカーは『断絶の時代』ではこう述べている。「福祉国家は、優先度を決めることができない。それは膨大な資源を集中させることができないということであり。したがって何も実行できないことになる」

優先度を決め、膨大な資源を集中させることが、福祉国家の次の政府のあり方ということになりそうだ。

幸福の科学の大川隆法総裁は、政府のお金の使い方について、『Think Big!』でこう指摘している。

資本主義の原理は、基本的には『富の集中』です。それぞれの人がバラバラに十万円ずつ使ってもたいしたことはありませんが、お金を、数億円、数十億円、数百億円と集めたら、大きな仕事ができるようになります(中略)。

共産主義の原理を私はよく批判していますが、共産主義の下での平等主義は、『富を分割し、分散して、すべてを同じ状態にする』というものです(中略)。

ただ、そういう『富の分散』は、それ以上のものを生みません。支給したもの以外の価値を生まないのです。しかし、富を集中すると、実は、大きな仕事ができるようになります。そのことを知らなくてはいけません

「富の集中」は何倍もの経済効果を生む。この考え方を実践したのが、今、回顧ブームが起きている田中角栄元首相だ。

日本を「一つの都市」に

1972年の首相就任時に発表された『日本列島改造論』(以下、改造論)で角栄氏は、新幹線などで全国を結ぶ構想を具体的に示した。

「時間距離の短縮という角度からみると、日本列島の主要地域を1日行動圏にすることが第一の目標である。ついで東京、名古屋、大阪など主な都市相互間の所要時間を1時間圏に組み入れる。第三に東北、北陸などの全国各地区をいまの1県以内の距離感に圧縮するということである」

「こうして9千キロメートル以上にわたる 全国新幹線鉄道網が実現すれば、日本列島の拠点都市はそれぞれが1時間の圏内にはいり、拠点都市同士が事実上、一体化する

「そこで超高速新幹線ではリニアモーターという特別な方式を使う(中略)。超高速新幹線が実現すると南北二千数百キロメートルの日本列島は、端から端まで1日で往来し、手軽に用事をすませることができるようになる」

『改造論』は一般には東京一極集中を是正し、地方分散を図るものととらえられている。この部分は、執筆に関わった数多くの官僚たちの考え方と言っていいだろう。ただ、これらの言葉にはむしろ、日本中を「一つの都市」にまとめてしまうという角栄氏のねらいがはっきり示されている。1時間で移動できる範囲が広がれば、それは「一つの都市」だし、1日で行き来できる範囲が広がれば、その分だけ日本が狭くなる。

だからこそ角栄氏は同書の中で、新潟や富山が「東京都内」になり、島根や高知が「大阪市内」になるという大胆な構想を語っていた。

移動時間が3分の1になり、GDPが3倍に

加えて、経済効果についてのこんな予測もしていた。

「次の(経済発展の)原則は、 人間の1日の行動半径の拡大に比例して国民総生産と国民所得は増大する 、ということである。

それは東海道を昔のように歩いていたときと、明治の半ばに東海道線が全通して汽車で20時間、2日間の行程を要したときと、いまのように自動車、新幹線、ジェット機を利用して短時間でいけるようになったときとを比べれば、人間の1日の行動半径が拡大すればするほど、経済が拡大したことは明らかである」

これはある程度実感できるのではないだろうか。

新幹線開通前の1956年、東京~大阪間は7時間半かかっていたが、92年にはその3分の1の2時間半に縮まった。この36年間の間に日本の1人あたりの実質GDP(国内総生産)は3倍に増えている。もちろん、こうした交通のイノベーション以外にもいろんな要因はあるだろう。それも踏まえながらも角栄氏は、移動時間の短縮こそが国民の所得を伸ばす最大の要因だと考え、実際に所得は3倍になったのだ。

これは別の角度から見れば、「人生の持ち時間を何倍にも増やした」ということを意味する。あるいは、個人や企業の仕事で見れば、「仕事時間を何倍にも増やした」ということになる。「タイム・イズ・マネー」の言葉を引くまでもなく、「時間短縮」あるいは「時間を生み出すこと」の価値は大変なものがあるということだろう。

島根・鳥取・高知・愛媛の県民の所得を2倍に

逆に言えば、90年代以降、移動時間が劇的に短くなる新しい交通インフラが誕生していない。だから、この25年間、GDPが停滞しているとも言える。であるならば、これからやるべきことは明らかだ。

角栄氏が『改造論』で示したリニアも含めた新幹線構想(図参照)は、まだ3割しか実現していない。

超低金利で金余りの今、5年から10年ぐらいで全国的に一気に開通させる努力をすれば、GDP3倍増を再現できるのではないだろうか。

例えば、新大阪から松江・高知・松山まではそれぞれ、在来線だと3時間半から4時間近くかかる。それが新幹線になると約1時間半。

移動時間が半分以下になるということは、島根や鳥取、高知、愛媛の県民の所得が、10年ぐらいすれば2倍以上になる可能性があることを意味する。

新幹線の開通が、その地域の所得を引き上げる

夢物語にも聞こえるが、新幹線の開通によってその地域の所得を引き上げる効果は、北陸新幹線や九州新幹線で実証されている。

2015年3月、北陸新幹線が開通し、石川県では1世帯あたりの年間所得が2・8万円増えたと試算されている。当初は観光地として人気の金沢の一人勝ちと予測されていたが、そんなことはなかった。富山県でも1世帯当たりの年間所得が2・2万円増えた計算になるという。

2011年に全線開通した博多~鹿児島間の新幹線は、九州全体で1世帯あたりの年間所得を4・7万円増やすだけの経済効果があったという。地域によって濃淡はあるだろうが、九州の全世帯で5万円近くも所得が増えた経済効果は、驚異的だと言える。

角栄氏の言うように、1~2時間程度で移動できる範囲が広がったことで、その地域全体に新たな富が生み出されたということになる。

京都大学教授の藤井聡氏は、政府がインフラ投資を1兆円行うと、名目GDPが5・05兆円増えるという試算を出している。政府の投資に合わせて地方自治体もさまざまな投資を行うことをカウントしたものではあるが、5倍の経済効果のインパクトは相当なものだ。

ほとんどすべてのマスコミは、新幹線などの公共投資を進めようとすると、必ず「バラまき政策であり、土木関係者の利権を大きくするだけだ」という批判を浴びせる。しかし、福祉のための「富の分散」のほうがまさにバラまきであり、交通インフラを造る「富の集中」は新たな富を創造する。

マルクス主義的な発想に立ちやすいマスコミは、まったく逆の価値判断をしてしまっているようだ。

新幹線の開通が「社会保障」になる

新幹線の通っていない中国地方の島根や鳥取、四国の高知、愛媛、さらには九州の大分、宮崎といった県は、高齢者の割合が高い地域だ。

ここに新幹線が通ることで、仕事が増え、若い世代の人口流出が止まり、高齢者を支えることができるという好循環が生まれるだろう。

高齢化が進んだ地域は自殺率も高い。実は、その原因として「新幹線の整備・開通が遅れているから」ということも指摘されている(注4)。

また、公共事業の投資額が増えれば、自殺率が下がるという研究もある(注5)

これらの説からすれば、秋田県や山形県の自殺率が高いのは、「山形新幹線」と「秋田新幹線」は在来線を走るもので、正式な新幹線が開通していないからだということになる。

2016年3月に函館まで新幹線が開通したが、北海道全体として人口が減り、高齢化に拍車がかかっているのも、広い道内を貫いて新幹線が走っていないという要因が大きいとみられる。

角栄氏は1970年代の時点で、北海道に新幹線を引き、札幌からさらに旭川、稚内、網走、釧路までをつなぐ構想を明らかにしていた。角栄氏の新幹線構想はすべてその地域を活性化させ、繁栄する方向へと導いている。「北海道に新幹線を引いても採算がとれない」という声は強いが、70年代に構想されていたことが50年後の今、「できない」というのはあまりにも"退化"しすぎではないだろうか。

交通インフラと社会保障を両立させる観点に立つならば、新幹線やリニア新幹線を全国津々浦々に張り巡らせることで、高齢者を若い世代が支えることができる。自殺に至るような最も切羽詰まった人たちを救える可能性も高まるといえる。

(注4)自殺総合対策推進センター(東京都小平市)の本橋豊センター長が指摘している。
(注5)大阪大学大学院の松林哲也・准教授の研究。公共事業の投資額が10%増えた場合、自殺率(人口10万人あたりの自殺者数)が1・1ポイント下がると分析している。

「福祉は天から降ってくるものではない」

角栄氏は『改造論』で、福祉のあり方について述べていた。

「福祉は天から降ってくるものではなく、外国から与えられるものでもない。日本人自身が自らのバイタリティーをもって経済を発展させ、その経済力によって築きあげるほかに必要な資金の出所はないのである」

角栄氏と、福祉大国・日本の破たんを見て見ぬふりする現在の政治家たちとのあまりにも大きな落差。それが今の角栄ブームをつくり出しているようだ。

ハイエクは『隷従への道』で、国民の所得を上げる方法について端的にこう述べている。

「豊かで立派な社会を築き上げることができる唯一のチャンスは、富の一般的な水準を改善し続けていくことができるかどうかにかかっている」

結局は、社会全体の繁栄を通じてしか、個々人、個々の家庭の豊かさは実現することができない、ということになる。いくら政府がその優秀な頭脳を働かせて、国民に「富の配分」をしてみても、結局は徒労に終わる。

「富の集中」によって、全体の水準を改善するしかないのだ。

GDPと国民の所得が5倍になることもあり得る

安倍首相も参院選を前に、リニアや新幹線を整備していくと表明し、5年で30兆円規模の資金をJR各社などに貸し付けるとしている。

しかし、過大な「富の配分」の時代を終わらせ、「富の集中」によってそれぞれの地域で高齢者を支えられるようにするためには、今の社会保障費の100兆円を超える規模の投資が必要だろう。

大川総裁は『心の導火線に火をつけよ』で、こう提言している。

私でしたら、今の政府のような考え方は採りません。どうせやるのであれば、今だと、眠っている民間資金を二百兆円ぐらい吸い上げて、未来事業を中心に投資をかけます。

その二百兆円のうちの百兆円ぐらいは、おそらく、幸福実現党がよく言っているように、リニアモーターカー、『リニア新幹線』の全国網を敷くことに使います。だいたい百兆円くらいあれば、たぶん、できるのではないかと思います

『リニア新幹線』で全国を結んだ場合のGDPは、おそらく今の三倍ぐらいになっていると思います。速度が上がった分だけ『時間』が生まれ、GDPは必ず上がってきます。『交通革命』によってGDPが上がるのです

せっかくリニア新幹線の技術が完成しているのだから、「山陰新幹線」や「四国新幹線」などはすべてリニア方式にすべきだろう。

大阪と松江・高知・松山などの間が40分程度で結ばれ、角栄氏が言うように、みな「大阪市内」になる。

現在、進んでいるリニア新幹線の計画は、東京~名古屋間を40分で結び、東京~大阪間を1時間で結ぶものだ。東京都民としては、名古屋までは、東京駅から中央線で国立(くにたち)まで行く時間感覚と変わらない。大阪までは、八王子まで行く感覚だ。

この結果、東京・名古屋・大阪がみな「東京都内」になり、人口7000万人の超巨大都市が生まれる。

リニア新幹線網を全国に敷くならば、北海道から九州までが「関東圏」に入ってくる時間感覚になる。角栄氏が予言した、「日本列島の端から端まで1日で往来し、手軽に用事をすませることができる」未来が実現する。

各都市の再開発も含めて、この「交通革命」に100兆円を投じれば、何倍ものリターンがあるだろう。移動時間が4分の1や5分の1になる地域が全国にたくさん出てくるので、もしかしたらGDP5倍、国民の所得5倍もあり得るかもしれない。

社会保障が要らなくなる可能性

大川総裁はさらに続けて、こう述べている。

二百兆円のうち、残りの百兆円ぐらいについては、宇宙産業と防衛産業のほうに投資します。この二つは、ほとんど連動しています(中略)。将来の『国家の防衛』と『未来産業の発展』を考えるならば、航空機産業も含めて、『宇宙産業』と『防衛産業』に取り組まなくてはなりません。これをやらないかぎり、この国の未来はないと思われます

航空・防衛・宇宙分野にも100兆円を投資し、日本とアメリカを2時間程度で結ぶスペースプレーンを開発したいものだ。日米間の移動時間は5分の1に短縮され、「国内」並みのフライトになる。

この結果として、日米両国のGDPが5倍になるというところまではいかないだろうが、その経済的なインパクトは世界的なものになるのは間違いない。

これらの新たな「日本列島改造論」を掲げているのが幸福実現党だ。これを実現できれば、極端かもしれないが、100兆円もの社会保障費が要らない国になる可能性がある。つまり、今は過疎化と人口減少に悩んでいる地方が経済的に何倍にも発展し、自分たちでおじいちゃん、おばあちゃんの生活を支えることができるようになるということだ。仕事が爆発的に増えれば、高齢者の方々も、意欲と体力に応じて働き続けることもできる。

破たん寸前の「福祉大国」から、繁栄を呼ぶ「未来投資国家」へのイノベーションが、今こそ求められている。

(綾織次郎)

すでに成り立っていない日本の社会保障

・今のまま福祉サービスを続け、消費税の増税でまかなう場合、2060年の時点で68.5%になる(注2)。

・65歳以上の1人あたりの社会保障費は253万円(2010年時点)。現役家庭がリタイアした父母2人に約500万円を「仕送り」している計算(注2)。

・竹中平蔵・元経済財政相は「65歳から全員に年金給付したら消費税30%でもダメ」と語り、ネットで猛反発にあったが、客観的な事実。

・70歳以上の高齢者の医療費は、自己負担6割でも成り立たない(注1)。

・現在の福祉など公的サービスは、平均世帯所得が890万~920万円ないと維持できない(注1)。

(注1)東京大学、慶応大学で設立された「政策シンクネット」で、高齢社会対策プロジェクト「首都圏2030」に参加する投資家・ブロガーの山本一郎氏の指摘。
(注2)原田泰・元早大経済学部教授の試算。