杉原千畝が手書きで書いたビザ( Wikipedia より)。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れる数千人のユダヤ難民に対し、ビザを発給して命を救った日本の外交官、杉原千畝(ちうね)――。

没後30年を迎える今年、杉原の名前を冠した通りが7日、イスラエルのネタニヤ市に作られた。この式典には、杉原の四男である伸生(のぶき)氏も参加。伸生氏は、「光栄です。父がこの光景を見たら喜ぶでしょう。(天国で)見ているかも知れません」と話した(8日付日テレNEWS24)。

"金融先物の父"を救う

先の大戦中である1940年、ナチスの迫害から逃れるユダヤ難民が、リトアニアのカウナス領事館に勤めていた杉原千畝のもとに殺到した。窮状を訴える難民の声に心動かされた杉原は、彼らを助けるために、独断で約6000人分のビザを発給。このビザを受け取ったユダヤ難民の多くは、シベリア鉄道を経由して日本を訪れ、そこから第三国へと逃れた。

ビザで救われた難民には、米シカゴの金融先物取引所(シカゴ・マーカンタイル取引所)を、世界最大の取引量へと押し上げる礎を築いたレオ・メラメド氏がいる。メラメド氏は当時について、「日本人は全く敵意が無く、両手を広げて我々を歓迎し、食べ物と住む場所を与えてくれた」と語り、今も感謝の念を抱いているという(2014年7月13日付The New Classic)。

「天皇陛下の御心を忖度した」

人命救出に全力を傾けた杉原について、大川隆法・幸福の科学総裁は霊言を収録。杉原の霊は、ビザを発給した思いに関し、こう述べている。

「日本の国を代表するに当たって、(中略)畏れ多くも、天皇陛下の御心を忖度して、『天皇陛下だったら、どうされるだろうか』というようなこと、要するに、日本を代表する立場としては、そういうふうに考えねばならないかなと思います(中略)本当は、みんなの共存共栄を願っていらっしゃると思っていたので」

つまり杉原は、天皇陛下の御心をおしはかり、ビザの発給に踏み切ったというのだ。

本誌7月号では、杉原伸生氏のインタビュー記事を掲載。伸生氏は、父の功績を振り返りながら、霊言についても語っている。今回のニュースをきっかけに、日本が生んだ偉人に思いを巡らせてみてはいかがだろうか。

(山本慧)

【関連書籍】

幸福の科学出版 『杉原千畝に聞く 日本外交の正義論』 大川隆法著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1607

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2014年5月号 ユダヤ人を救った東條英機は「アジアのヒトラー」か? (Webバージョン) - 編集長コラム

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