緊急寄稿

中国が「南京大虐殺」「従軍慰安婦」資料を、ユネスコ記憶遺産に登録申請している問題で、その最終審議が10月4日~6日にかけて、アラブ首長国連邦のアブダビで行われる。

審議が間近に迫る中、「慰安婦」資料の中に、無断で申請された福岡県在住の天児都氏が、本誌に緊急寄稿し、最後の声を上げた。

(プロフィール)

1935年、福岡県生まれ。九州大学医学部卒。産婦人科医。福岡県婦人問題懇話会委員、財団法人YMCA常議員・理事、福岡女学院大学非常勤講師などを歴任。著書に『慰安婦問題の問いかけるもの』(石風社)、『慰安婦と医療の係わりについて』(梓書院)などがある。

先般、世界文化遺産として登録された「明治日本の産業革命施設」をめぐり、日本の外交に失点があったとの批判が起こりました。この時浮き彫りになったのは、ユネスコを舞台に、韓国が日本に「歴史戦」を仕掛けている事実です。しかし、ユネスコではもう一つの戦いが展開されています。

それは中国が昨年、ユネスコの世界記憶遺産への登録を目指して「南京大虐殺」と「従軍慰安婦」に関する資料を申請したことです。戦後70年の節目として、「南京」「慰安婦」の資料を"人類の遺産"にしようとしているのです。

もし、日本が敢然と反論しなければ、国際機関が「日本悪玉論」にお墨付きを与えることになり、中国がこれを材料に対日批判を強めます。日本は断固として中国の動きを阻止しなければなりません。

中国の不正な申請が判明

日本軍がつくった上海の慰安所を写した写真。撮影者は天児さんの父・麻生徹男氏であり、撮影日時は1938年2月7日。しかし、中国側は出所を示さず、「著作権は自国にある」と虚偽申告している。

私がこの問題に関わるようになったのは、最近、中国が申請した「慰安婦の強制連行」や「性奴隷」を示す資料として、私の父・麻生徹男(故人)が撮影した写真を無断で使っていることが明らかになったためです。そして中国はユネスコに対し、そのネガと著作権を持っており、それは自国の中央档案館(国立公文書館に相当)にあると虚偽申請しているのです。

問題の写真は、軍医であった父が1937年2月7日に上海の慰安所を写したものです。中国はこの写真を、慰安婦が「性奴隷」であったことを示す資料の一つとして申請しています。

しかし、この写真は「性奴隷」を裏付けるものではありません。また、このネガフィルムも遺族の私が所有しています。中国は、遺族の許可を得ないばかりか、オリジナルではない資料を申請したという不正を行っているのです。遺族として、憤りを感じざるを得ません。

そこで私は6月中旬に、東京都内の日本外国特派員協会で会見をし、中国に対する抗議をしました。当日は、会見の発起人である幸福実現党・釈量子党首と、その趣旨に賛同する「史実を世界に発信する会」の事務局長・茂木弘道氏の3名が登壇しました。

さらにこの会見に先立つ5月26日、私は釈党首を通じて、中国の「慰安婦」資料への反論書をパリのユネスコ本部に提出してもらい、中国の申請を却下するよう申し入れました。

私の反論書を添えた同党の申し入れには、上智大学名誉教授の渡部昇一氏や国際エコノミストの長谷川慶太郎氏、評論家の黄文雄氏、月刊「WILL」編集長の花田紀凱氏らを含む国内外の識者45人のご賛同を得ました。私はこの問題について、4月半ば、同党の関係者から電話で、父の写真が中国の申請に使われていることを知らされました。これまでにも父の写真は、左翼系識者によって無断使用が相次いでいましたが、国際機関のユネスコに申請されているとは知りませんでした。

慰安婦は「性奴隷」ではない

父・麻生徹男は1910年に福岡県に生まれ、九州帝国大学卒業後、産婦人科を専攻しました。間もなく、支那事変が勃発したため、1937年11 月に軍に召集された父は、陸軍衛生部の見習士官として上海派遣軍が管轄する 14 号兵站病院に勤務しました。出征前の父は、一時的に人手不足を補うための滞在と思っていました。

しかし戦争が次第に泥沼化したので、その後、父は南京や九江など中国大陸の各地を回り、一時帰国して、1942年以降は、独立野戦高射砲第34中隊付軍医としてラバウルに行きました。

中国滞在中の父は、趣味のカメラで、勤務の合間を縫って現地の様子を撮影しました。私の手元には、スーパーイコンタとローライコードという2種類のカメラで撮られた1300枚余りの写真が残っています。

そして中国が申請した問題の写真は、父が最初に勤務した上海で、慰安所を写した一枚です。この写真について中国は、「日本軍が建設した楊家宅の木造慰安所」との説明をつけ、この慰安所では女性の人権が蹂躙されたと主張しています。

しかし、その慰安所の実情を知る父が、戦後に作ったアルバムには「各扉の上に番号と源氏名の札あり 内に入ると正面に洗場があり、各室は畳敷」と説明書きがあります。これは、慰安婦が「娼婦」であることを示しています。

私は、「慰安婦問題」がクローズアップされる前の1980年代に、慰安婦について事実でないことを書いた本が出版されていたので、父に「本当のことを書いた本を出して下さい」と言いました。この時父は「私は当事者だ。それを批評するのは別の人なのだ。だから、自分が行ったことだけ述べておく」と言いました。

父は「日本軍が慰安婦を強制連行した」「慰安婦を奴隷のように扱った」などと話したことはありません。手記には、上海の慰安所で体調が悪くなった慰安婦のため、一晩中、その女性の手当てをして命を救ったエピソードが書かれています。父は慰安婦に人道的に接し、医師としての当然の行為を行っていました。

左翼作家が父の写真を"盗用"

慰安所を写した写真が少ないため、父が亡くなった1989年以降、左翼系の識者が父の写真を使おうと連絡してくる機会が多くなりました。

私が出合った最初はその年の10月、とあるノンフィクション作家が、一人暮らしをしていた母の元を訪問し、「麻生徹男さんの友人の紹介」と名乗り、「父の資料を見せてくれ」と頼み込んできたのです。母は父のアルバムや資料を見せてあげ、それを作家は35ミリフィルムで接写していったのです。

私が14時頃に母の家に行ったところ、母は「今日は父の友人の方がいらして、色々と資料を見ていかれた。10時頃に来られたが、12時頃にそそくさと帰られた」などと嬉しそうに話すのです。

母は、来客者には必ずご飯を御馳走するほどのもてなし上手の人だったのですが、昼過ぎに食事をしないで帰られたと言うのです。それで私は「何かやましいことをしたんじゃないか」と思い、すぐに父のアルバムを確認したところ、何枚かの写真が勝手に抜き取られていました。

私は、西日本新聞社に連絡し、彼の連絡先に電話しました。電話口で「写真を全部返してください。その後、あなたと相談し、お貸しするかどうかを決めます」と伝えると、後日、威光した真っ黒な2本のネガフィルムが送りつけられてきました。私は友人の弁護士に相談し、返してもらう物を特定した内容証明の手紙を作家に送りました。そうしたら、「盗人扱いするのか。名誉起訴で訴えてやる!」ともの凄い剣幕で怒ってきたのです。向こうが"盗んだ"のですから私はその態度には驚きましたが、作家は父の写真が使えなくなったため、私の悪口を周りに言いふらしていたようです。

そして私はこの経験より、権利を侵害された時には声を上げることが、非常に有効であることを知りました。この後に、父の写真を無断使用した豪州人ジャーナリストのジョージ・ヒックス氏や韓国紙の東亜日報などにも抗議し、東亜日報の日本支局が電話で謝罪してきたこともありました。

無断使用や悪用して出版されたものについては、私はその都度手紙を送りました。「強制連行」の分章に使わせてくれ」と言う出版社の依頼も多く届きました。「強制連行」「性奴隷」でないことを伝える機会の多さには驚きました。

中国によるユネスコ申請の問題点

中国の申請内容が詳しく報じられない背景には、中国側がその資料を外部に広く公開していないことにあります。関係者によると、日本の文部科学省が外交ルートを通じて、中国に申請資料の公開を要請したようですが、それを拒否していると聞きます。

世界記憶遺産への登録申請には、申請内容の情報公開が求められており、資料のコピーを第三者に提供する用意ができていることなどが定められています。ですが、中国は日本政府の要請を無視し、コピーすらも渡していないようです。これは明確にユネスコのルールに違反しています。

また中国は、父の写真を「性奴隷」を示す資料として申請していますが、これは資料の改竄や歪曲から、その所有者の人格権を守る「著作者人格権」を犯しています。中国は父の意思に反して申請しているので、ユネスコ規約にある「法の支配の尊重」にも違反しているのです。

さらに中国は、歴史研究で必須であるはずの、一次資料への自由なアクセスや、学者による批判的検証などの「学問の自由」を保障していないという問題もあります。中国のプロパガンダに同調して、一部の欧米学者は日本に「歴史を正しく直視しろ」などと批判していますが、彼らに欠落している視点は、中国共産党が自らに都合のいい歴史をつくり上げている点です。そうした「歴史改竄」を現在進行形で行う中国が、本来、世界記憶遺産に申請する資格があるのでしょうか。

中国がユネスコのルールに則って申請資料を公開し、日本政府や資料の関係者、歴史研究家などに反論の機会を設けた上で、記憶遺産登録の可否を判断しなければ、ユネスコは歴史に重大な汚点を遺すことになります。中国はユネスコの基準に基づき、速やかに全ての申請資料を公開すべきです。

ユネスコの審議について

ユネスコでは、審議を担うIAC内でのやり取りはすべて非公開であり、その議事録も登録の可否が決まった後に開示されると聞いています。つまり、中国の歴史認識で対立する日本が、審議の途中で反論する機会はほとんどないのです。

またIACの委員は、図書館学などに精通する人物が選ばれると聞きますが、各国の歴史などに詳しい人とは限りません。中国が彼らにもっともらしい嘘を吹き込めば、虚偽の歴史が人類の遺産として登録されかねません。現在のアメリカがそのような状態です。

日本は今まで、国際社会に対する積極的な情報発信を怠ってきました。「沈黙は同意」とみなされること、「真実は最善の宣伝である」ことをすべての国民が知って行動しないと、日本の名誉も尊厳も守れないのです。そのために大事なのは、中国の情報公開が徹底されることです。

欧米、中国から偽りの歴史を宣伝されている日本が、公正な歴史を取り戻す機会を切に望みます。